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☆ 治療と接客の源

更新日:2018年01月21日

自分が「して欲しい」と思う治療をする。
いつだって、これが技術革新の源にある。

お客様に向き合っているときに
いつも向き合うのは自分。

自分がお客様の立場だったら
どうして欲しいのか?
どう接してもらえば嬉しいか。
カラダの痛みや悩みが、どう解決すれば満足か。
それを考えると、突き詰めても突き詰めても
止むことは一切ない。

結局、お客様の先に見えているのは
苦しくて助けを求めている自分だから、なのかも知れない。

私自身も首に歪みがあり、カラダは痛い。
40歳を過ぎてからは、
願わくば誰かに直して欲しいと思う。

最近は首の痛みが顕著になってきた。
かろうじて生活に支障がでない程度に
首の痛みを対処できているとしても
正直、まやかしであり、
本当なら根本的に首の歪みを矯正したいと思う。


自分の手が届く範囲なら
自分で治療ができるのは役得ではあれど
首と背中だけは、自分ではどうにも手が届かない。

背中側には物理的に手が回らないし
コリがあるところが分かっても
手が届かない状態で治療が困難。

首には手が届けど
我が手で我が首を矯正することは困難極まりない。

結局、自分で歪みと痛みを抱えながら
他人と向き合うとき、重なって見えるのは
いつも自分なんだと思ってしまう。

どうやったら、このお客様の痛みを解消してあげられるか?
痛みや苦しい思いが分かるから、なんとかして差し上げたい。

その思いが、技術の革新へとカタチを変える。

このくらいでイケているんじゃないか。
ここまでやれば十分だ。
慢心と満足が歩みを止める。

自分が対応してもらっていて
その時間と空間の中で最大限の満足を得ているか?
そうやって、貪欲に追究することが、
新たなひらめきと技の改良につながる。

他人と自分。
何が違うのか?
どこに境界線があるのか?

私が見ているお客様に重なって見えるのは
いつだって「自分」。

だから、自分が「して欲しい」と思う治療をする。
いつだって、これが治療と接客の源にある。
他店では得られない、私だけの特別治療。

私自身が享受できないのが
至極、残念である・・・。

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